⑤ー78 征さんのト書き
私の好きな沖縄の言葉に「ニライ・カナイ」という言葉があります。東の海の彼方にある神の国、あるいは理想郷、パラダイスと言った意味を持っていると聞いています。そして沖縄の島々に住む人々にとっての幸せ、恵みと言うものは、全てその神の国、二ライ・カナイから送られてくるといった考え方だそうです。
ですから、白保の海岸では朝な夕なに、その東の海に向って手を合わせる人々に私はよく出逢いました。しかし、島の人が全員そうかと言いますと、必ずしもそうではなく、中にはその二ライ・カナイと言う言葉さえ知らない人が居ることも知りました。
私がさまざまな沖縄の言葉と、その持っている意味を教えていただいたのは、白保のサンゴ礁の海を守る運動の中で知り合った、山里節子さんという丁度私と同じ位の歳の方です。彼女はことばだけに限らず、ほんとうに沢山の歴史や出来事を識っている人でした。
彼女によりますと、≪ニライ・カナイ≫に≪ユ≫つまり≪世≫と言う音をつけますと、その意味はさらに広がって、ニライ・カナイの神々と人々、そして自然界のありとあらゆるもの達とが、共に敬い助け合っていく世の中、恵み豊かな世の中と言うことなのだそうです。
そして、それをさらに≪ニライ・カナイ・ユー≫と引き延ばしますと、≪そのような世界を私達に賜われ≫といった希い、祈りに変化するということでした。
私達がまだ白保のことを盛んにやっていました頃、私達は日本自然保護協会の中で、その言葉を使ったナショナル・トラスト運動を興したことがありましたけれど、それ以前に、これからお話しようとしている、西尾昇さんと他の数人の女性で、「ニライ・カナイの会」というグループを持っていたことがありました。
西尾さんは、ガンジー(インド)の非暴力の思想に傾倒した方でしたから、世にある様々な運動というものが、反対・賛成、敵・味方に分かれての対立運動になっていることを、とても憂えていらしたわけです。ですから、私達が白保の海のことで運動を始めた時は、そうした対立関係のものではなく、あらゆる人達が、同じ基盤の上に立てるようなものでなければいけない、ということになりました。
そこでその想いを表現した名称として「ニライ・カナイの会」といったものが生まれたのです。
その西尾さんは肝臓ガンでしたが、本人の希望で病院には入らず、自宅で民間療法をさまざまに試みていらっしゃいました。そして数年前に亡くなられましたが、その時ちょっと気になる事を言い残されたのでした。
人はいま、実にさまざまな魂の世界、階層からやってきて、人としてこのように生きています。人として生きています、いま、この時こそが、皆等しく、あらゆる階層の魂の人達と交流することの出来る、絶好のチャンスであるということなのです。それぞれの魂が、またそれぞれの所属する世界へ戻ってしまいますと、同じ周波、同じバイブレーションの魂以外の交流はなくなってしまうと言うことです。そのことを言おうとしているのです。